発信する側がワクワクしていないと、たぶん届かない——『東大卒、年収1100万をやめて刺しゅうをはじめたワケ』を読んで

発信する側がワクワクしていないと、たぶん届かない——『東大卒、年収1100万をやめて刺しゅうをはじめたワケ』を読んで
「北区の刺しゅう屋」というアカウントを、だいぶ前からインスタでフォローしていた。
リールの作り方が好きで、直向きに努力している様子と、投稿するたびにどんどん進化していく様子が素敵で、いつのまにか応援したくなって見ていた。中の人の名前も知らないまま、ただその雰囲気と熱量が好きだった。
だから本を出したと知って、すぐにポチった。著者の名前が田中優輝さんだと知ったのは、そのときが初めてだった。
『東大卒、年収1100万をやめて刺しゅうをはじめたワケ』。東大を出て外資系の銀行で働いていた27歳が、年収1100万円の仕事を辞めて、小さな部屋で刺しゅうを始めるまでの話。
順風満帆に見える場所から降りる話って、どこか他人事にならない。読み終わったあと、私は自分の仕事のことをずっと考えていた。
「この仕事、私じゃなくてもいいのかも」
本の中で何度も出てくるのが、成功のものさしの外側にあるものを探す感覚だった。条件はそろっている。まわりから見れば申し分ない。それでも、ふとした瞬間に「これ、本当に私がやる意味あるのかな」と思ってしまう。
その感覚が、妙にわかった。
私は仕事で発信をしている。ちゃんとした、まじめな発信。間違ってはいないし、丁寧に整えているつもりだった。でもこの本を読みながら気づいてしまった。私、あの発信をしているとき、ぜんぜんワクワクしていなかったな、と。
発信する側が退屈していたら、見る人はもっと退屈している
当たり前のことなのに、意外と忘れる。
作っている本人が「まあ、こんなもんだよね」と思って出したものは、受け取る側にもだいたいそう伝わる。逆に、本人が「これ面白いな」と思いながら作ったものには、ちゃんとその熱の余韻が残る。
思えば私が「北区の刺しゅう屋」のリールを追いかけていたのも、内容がすごいからじゃなくて、作っている本人が楽しそうで、直向きだったからだ。名前も経歴も知らないまま、その熱のほうに惹かれていた。
「正しい」より「その人にしか出せない」
じゃあどうするか、まで本が教えてくれるわけではない。そこは自分で考えることだ。
私が思ったのは、正しさを守ったまま、もう少し自分側にハンドルを切ってもいいということ。私の仕事には、その場所にしか出せない切り口がきっとある。それを、私自身がちょっと面白がりながら出してみる。まじめさは手放さないけれど、退屈だけは手放したい。
大きく変えるわけじゃない。ただ、作る側の私がワクワクしているかどうかを、これからは一つのものさしにしてみようと思えた。
読み終わって残ったこと
この本は「会社を辞めよう」とも「好きなことをやろう」とも言ってこない。ただ、自分が何に時間を注ぎたいのかを、静かに問い返してくる。
だから私も、辞める・辞めないの話ではなくて、いま自分がやっていることに、もう少し自分を混ぜてみようと思った。
この本を読んで、自分の発信を見直すことになるとは思っていなかった。でもいい本って、たぶんそういうものなのだと思う。
私も、絵を描いたり、絵本を作ったり、自分の手で何かを作ることを少しずつ続けています。よかったら、のぞいてみてください。




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