見えないものが、見える理由。京極夏彦『姑獲鳥の夏』感想
- Yukaringo
- 3月28日
- 読了時間: 3分

見えないものが、見える理由。京極夏彦『姑獲鳥の夏』感想
先輩に面白い本を聞いたら、この本を教えてくれて読んでみた。
分厚くて、難しくて、読み終えるのに時間がかかった。
京極夏彦の『姑獲鳥の夏』は、1994年に発表された「百鬼夜行シリーズ」の第一作。 昭和27年の東京を舞台に、20ヶ月も子どもを宿したまま出産しない女と、消えた夫の謎が絡み合う物語。
妖怪小説、でもある。推理小説、でもある。 でも私には、「人間の心の話」として届いた。
印象に残ったこと
妖怪は、恐れの形をしている
この本の中で、古書店主の京極堂(中禅寺)がこんなことを言う。
妖怪は実在するわけじゃない。でも「いる」。
人間が名前をつけ、理由をつけることで、説明できない恐怖を整理してきた。 妖怪とは、人間の認識の産物なのだ、と。
それを読んだとき、妖怪の話というより、現代の私たちの話だと思った。
不安に名前をつけることで、人はやっと「向き合える」。
名前のない恐怖は、もっとこわい。
記憶は、事実じゃない
物語の核心に、「記憶の書き換え」がある。
人は自分が見たいものを見て、信じたいことを信じる。
無意識に現実を編集して、「自分が耐えられる物語」を作る。
これはミステリーの設定の話だけど、読みながら何度も「自分もそうじゃないか」と思った。
過去の記憶を、都合よく塗り替えていないか。 今の現実を、見たいように見ていないか。
問いが、静かに積もっていった。
「この世」と「あの世」のあわい
姑獲鳥(うぶめ)は、死んだ母が子を守るために現れるという妖怪。 生と死のあわいに存在する、とても哀しい存在だ。
物語の中の出来事に、単純な「解決」はない。
すべてが明らかになっても、何かが残る。
その「残るもの」を、余韻と呼ぶのかもしれない。
そこから考えたこと
この本は怖い。でも怖さの種類が違う。
おばけが怖いんじゃなくて、人間の認識が怖い。
「見えないものが見える」のは異常じゃなくて、 むしろ「見えないはずのものを見てしまうほど、深く傷ついている」ということかもしれない。
心が守ろうとして、現実を変えてしまう。
それは弱さじゃなくて、一種の強さなのかもとも思う。
でもいつかそれと向き合わないと、ずっとその場所から動けない。
京極堂は問いを解く人じゃない。「憑き物を落とす」人だ。 答えを与えるんじゃなくて、正しく見えるように整えてくれる。
そういう人が、誰かに一人いたら、人生は少し変わる気がした。
読み終えた後に残ったもの
読み終えて、静かになった。 本を閉じた後も、しばらくその世界の空気が漂っていた。
重かった。でも、読んでよかった。
昭和の東京の湿った暑さと、薄暗い古書店と、饒舌な京極堂の声が、 今もどこかに残っている。
夏の日に読むと、よりよいかもしれない。
最後に
見えないものに名前をつけるとき、人は少し自由になる。
あなたにも、名前のつかない何かがあるなら、
急いで答えを出さなくていい。
ただ、その「何か」の輪郭を、ゆっくりなぞってみてほしい。
そのためのヒントが、この分厚い本の中には、静かに詰まっている。
今日の小さな行動提案:本棚に眠っている「なんとなく避けていた本」を一冊、手に取ってみる。重さも、深さも、今の自分に必要なものかもしれない。
猫たちと静かな時間を過ごしながら、こんな本の余韻を味わっています。
京極堂が「憑き物を落とす」ように、私の絵本もまた、誰かの夜を少しだけ軽くできれば
チャーフィーとココが主人公の絵本「ねるまえのたいせつなしごと」も、どうか静かな夜のお供に。
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